続日本100名城 龍岡城 佐久市田口史跡めぐり

城巡り

続日本100名城 龍岡城

途中、落石での通行禁止があり回り道を余儀なくされてしまったけど、長野県佐久市田口にエブリイでやって来ました。

五稜郭であいの館
駐車場にエブリイを停めます。

この真っ青な大空!!

いつ以来やろうか?もう記憶に無いくらい久し振りやね。

あっ、そうや昨日まで台風来てたんや。

台風が空をキレイに掃除してくれたんやね。

ほんま天気が旅の楽しさを左右すると思うわ。

毎日働いてる人って休みないやん。
だから、たまに休みがあると旅行の予定を入れる訳やねんけど、天気が悪いからと言ってキャンセル出来ない。

だってその日を逃すとまた休みを待たないといけないし、今度の休みが天気は良いとも限らない。

行ける時に行っとかなアカンねんって感じやから天気を無視して行くしかない。

そんな人生って嫌や~~!!

それではウォーキングマップを貰って町を散策して行きます。

まずは城へ参ります。

龍岡城五稜郭

大手門

中は普通に小学校ですよ。

小学校の中に入っても良いのかな?

今日は土曜日だから学校はやってないけど平日だったらどうなってるんでしょう?

生徒はいないし小学校内を気を使いながら散策させて貰います。

台所

城外に出て周りを歩きます。

函館の五稜郭とともに日本に2つしかない、五つの稜が星形に突き出た擬洋式城郭なのです。

龍岡城五稜郭は、慶応3年(1867年)に龍岡藩主「松平乗謨」(まつだいらのりかた)によって造られ、函館の五稜郭とともに日本に2つしかない五つの稜が星形に突き出た擬洋式城郭です。


江戸幕府はこの当時に城を新たに造ることを禁止していましたが、幕府の重要な役についており、西洋の軍楽に関心を寄せていた松平乗謨は特別に許可をもらい、フランスのリール市の星形の堀をもつ城郭ボーバン城をモデルとしてこの龍岡城五稜郭を建築しました。
星形の城の起源は、16世紀頃のヨーロッパで戦乱の相次ぐ中で町全体を城壁で囲んだ「城郭都市」が数多く造られましたが、銃や大砲が発達してくるとこれに対抗して防御側の死角を少なくする構造が考案されたそうです。


この構造を取り入れた龍岡城は元治元年3月(1864年)より着工して藩主の政務と住居をかねた御殿や大手門、東通用門などが完成し、慶応3年4月(1867年)に竣工祝いを行っています。
しかし堀は三稜堡をめぐるだけで、南西と西側二稜堡を囲む約270mは未完成でした。建物も瓦は全部準備されながら一割程の使用であったと伝えられています。

明治維新により江戸時代が終わると、龍岡城五稜郭の中のお台所に、近くのお寺(蕃松院)から子どもたちの学校「尚友学校」が移転し、現在も佐久市立田口小学校の校地として使われており、お城の中に学校が建設されているという全国でも珍しい小学校となっています。
また、松平乗謨は維新後に「大給 恒」(おぎゅう ゆずる)と名乗り、日本赤十字社の設立に尽力され、龍岡城五稜郭の中にその胸像が建立されています。

引用:佐久市

次は町を散策して行きます。

佐久市田口史跡めぐり

路地を抜けて行くと・・・

山が現れます。

それが

田口城

お墓が沢山並んでます。

天気が良いから大丈夫やけど暗いと怖いやろうな~。

この斜面、落ちたら死ぬやろ!!

僕の左足首は関節機能全廃なのです。

それがどう言う事かと説明すると・・・

これが健常者の足。

足首が動く事により地面の角度が変わっても地面に足の裏を着ける事が出来ます。

では関節機能全廃ではどうなるのか。

この様に足の裏を地面に着ける事が出来ず爪先で登る事になるのです。

危険を冒してまで登る事ない。

引き返すのも勇気。

でも勇気がないんやな~進んでまうねんな~。

高さ約15メートルの岩場が見てきました。

頂上は近いはず。

林道に出ました。

展望台

龍岡城五稜郭が見下ろせます。

山頂に到着。

城山自然研究園

田口城は田口氏の居城として知られています。

1546年(天文15年)には武田信玄の佐久侵攻により落城しました。
1548年(天文17年)の「上田原の戦い」で武田氏が撤退するとその混乱に乗じて、田口長能は城の奪還をはかりましたが、敗れて田口氏は滅亡します。
その後は阿江木氏の流れを汲む依田能登守の城でしたが、武田家滅亡後は徳川家康についた依田信蕃が攻略して本拠としました。

城址には石積みや堀切などの遺構が確認できますが、山頂から龍岡城の五稜郭が見られることでも有名です。
また、山麓にある蕃松院は信蕃の子、松平康国が信蕃のために建立した寺で、信蕃の墓とされる五輪塔があります。

引用:攻城団

田口城お降りて町を歩きます。

新海三社神社

新海三社神社は、その創建は不詳ながら、興波岐命(おきはぎのみこと)を主神として東本社に祀り、その父神・建御名方命を中本社に、伯父神・事代主命を西本社に祀ります。

特に興波岐命が、新開神(にいさくのかみ)とも称されることにより、「佐久」の地名の由来ともいわれるほか、諏訪湖の御神渡の「佐久の渡」は、興波岐命が湖上にて父神とご参会された跡とされています。

蕃松院

寺への道が映画に出てきそうな雰囲気でカッコイイです。

蕃松院の隣の田んぼが昨日の台風のせいかペチャンコになってました。

今日は真っ青な空の下、気持ちの良いウォーキングが出来ました。

キレイな空が写ってる写真って良いですよね。


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