福島県会津若松市一箕町の飯盛山にエブリィでやって来ました♪
飯盛山参道
戸の口堰洞穴

天保年間に会津平野のかんがい用水として猪苗代湖より通水した洞穴。
戊辰戦争の折、 白虎隊が鶴ヶ城の情勢を確認するため飯盛山に向かう際、この洞穴をくぐった。
さざえ堂の旧正宗寺三匝堂


さざえの殻に似ていることから『さざえ堂』と呼ばれ、階段のない螺旋通路で上り下りができ、上りの人と下りの人がすれ違うことなく一方通行で巡れる世界にも例のない建築で、国の重要文化財に指定されている。
不思議な形してますね~。
中にも入ってみます。
上がって
下りに変わります
さざえ堂を上から撮りました。

さざえ堂より少し飯盛山を登ります。
白虎隊自刃の地
白虎隊十九士の墓
慶応4年(1868年)正月3日、鳥羽伏見の敗戦によって会津藩はこれまでの軍事的欠陥をさとり、3月10日、改めて軍隊の編成替えをおこないました。
そこで誕生したのが、中国の四方(東西南北)の武神の名のもとに、『玄武隊』『青龍隊』『朱雀隊』『白虎隊』の4隊でした。
それぞれの隊は年齢によって編成され、更に各隊は身分階級によって、『士中』『寄合』『足軽』の3隊に分けられ、白虎隊は総勢343名(現在の推定)でした。
そのうち戸の口原十六橋に向かったのは、白虎隊士中二番隊の37名でした。そしてその中の17名は無事に入城しましたが、20名は飯盛山で自刃をされ、1人蘇生された飯沼少年を除いた19士の墓となります。
引用:飯盛分店
白虎隊自刃の地
ここからは鶴ヶ城が見えるのです。

白虎隊はここから天守閣を見て「天守閣が燃えてる~、もう駄目だ~」って自刃を決行したようです。
白虎隊とは16~17歳(14~17歳)までの予備隊で武家の男子でした。
飯盛山を降りて、いにしえ夢街道を歩きます。
柿が実ってますね~。

愛宕神社へ行きます。
うわ~、凄い石段や~。
やっと登り切りました。

そして脇道へと入って行きます。
近藤勇の墓
またあの凄い石段を下りなければ。

次は向羽黒山城へ移動します。
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