続日本100名城 新府城
山梨県韮崎市中田町にエブリイでやって来ました♪
日中は灼熱の太陽です。
この暑さはヤバいです。
冷房なしの車内だったら死にますよ。
道路脇に車を停めて、道路を渡って道路脇から城へ登ります。
まだ城として整備されてない感じかな。
ここは整備中やね。
先を登って行きます。
トイレが見えたら・・・
本丸
本丸があった付近に勝頼公を祀る藤武神社が建立されてます。
武田家最後の未完の城である新府城。国の指定文化財(史跡)に指定されており、「続日本百名城」にも選出されています。
新府城は、武田勝頼公が本拠を甲府市の躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)から当地(韮崎市中田町)に移転を計画し、築城した城です。
織田・徳川軍の侵攻に対抗するために、七里岩の断崖絶壁の上に築城されています。築城から入城まで一年足らずの未完の城と言われていますが、その史跡からは、武田家が培った築城技術が随所に施されており、武田家の甲州流築城技術の集大成の城郭であることが伺えます。
引用:韮崎市観光協会
エブリイで次に向かいます。
続日本100名城 要害山城
山梨県甲府市上積翠寺町に来ました。
城を探しながら山に入ったんですけどね~、飲み物はどうしようか食事はどうしようか車はどこに停めようか、暑い中を考えながら走ってたら、だんだん道幅が狭くなり山道に迷い込んだんですよ。
そしたら道端のぬかるみにタイヤがハマってしまって動けなくなったんですよ~。
こんな山の中で一人どうしたら良いの~!!
ところがですねホント良い人っているもんですね。
通りかかった軽トラの人がロープで引っ張りあげてくれたんですよ。
感謝・感謝ですよ。
助かったは良いけど、気持ちはブルーだし、飲み物も食事もないし、灼熱地獄だし、こんな最悪な状態で登山する事になります(泣)
登山口
要害山の登山口から入って行きます。
山は獣道と聞いてたのでトレッキングシューズに履き替えて登ります。
急な石段はあるけど、まぁまぁ普通の登道かな。
でもヤバいですよ呼吸できない。
ハーハーゼーゼー喘息状態や。
暑さでか?体力落ちたか?不摂生な生活のせいか?
汗ダラダラで数メートル進んでは休み、数メートル進んでは休み、ダラダラと休み休み登り進みます。
堅堀跡
門跡
おっ!もう少しなのか?いや、まだ半分だ。
そして泣きそうになりながらもやっと到着しました。
主郭部
武田信虎は、永正16年(1519)、躑躅が崎の地に館を築いて新たな本拠としました(武田氏館跡)。
翌永正17年(1520)、緊急時に避難のために立てこもる詰城(つめじろ)として、背後の丸山に要害城を築きます。
若くして家督を継いだ信虎は、甲斐国内で反乱を起こした油川氏や小山田氏らの武将を次々と平定し家臣化しました。
そして武田氏館の周辺に集住させ、さらに商職人を住まわせて、館を中心とした城下町である甲斐国の府中=甲府を開創しました。
大永元年(1521)、駿河勢が大挙して富士川をさかのぼって甲府盆地に攻め入ってきたとき、懐妊中だった大井夫人は要害城に避難し、後の信玄を出産しました(一説には山裾の積翠寺)。
城には山腹から主郭に至る通路に沿って枡形虎口(ますがたこぐち=出入口)に伴う門と郭(くるわ)が複雑かつ連続して付設されています。
竪堀(たてぼり)や堀切(ほりきり)を要所に設けて防御を固めている様子は、戦国時代の緊迫した状況を今に伝えています。
平坦にならされた山頂の主郭は東西約73m、南北約22mの広さがあり、土塁で囲まれていて、庭園の存在をうかがわせる大石も存在します。
信虎・信玄・勝頼の三代にわたって使用され、勝頼が新府城(韮崎市)へ移るまでの62年間、武田氏館跡とともに武田氏の領国支配の本拠地となった山城です。
城内には「諏訪水」と呼ばれる今でも水をたたえる井戸や武田不動尊の石像、東郷平八郎の書による「武田信玄公誕生之地」の石碑などもあります。
引用:甲府市
ここ数年で一番辛かったな~。
往復1時間の短距離コースなので助かったけど、ホンマ体力あかんかったわ。
体力落ちたのか、足悪いせいやろか。
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