続日本100名城 諏訪原城

城巡り

2021年の年末は日本各地で積雪と言う事で、都会育ちの僕としては雪の運転は恐怖なわけで大事をとって待機してました。

そして2022年になり新年初の旅に出発です!!

美しい景色の富士山を通り抜け

静岡県島田市菊川にエブリィでやって来ました♪

続日本100名城 諏訪原城

諏訪原城ビジターセンター

ビジターセンターにエブリィを停めて、お城へ入って行きます。

空が青くてきれい。

お城の中には茶畑が広がります!!

さすが静岡ですね。

外堀に沿って進んでいきます。

三日月堀

二の曲輪北馬出

二の曲輪

内堀を渡って

本曲輪

本曲輪から望む島田市街。

更に隅々まで散策して行きます。

カンカン井戸

水の手曲輪

この湿ってる辺りの事かな?

二の曲輪大手馬出

二の曲輪東内馬出

二の曲輪東馬出

諏訪神社

諏訪原城跡は、牧之原台地の北端部に近い標高212mから220mの台地に立地する山城です。

本曲輪(ほんくるわ)東側の斜面は断崖絶壁となっており、当時の大井川は牧之原台地に沿って流れていたことから自然地形によって守られた「後ろ堅固の城(うしろけんごのしろ)」となっており、天正元年、武田勝頼が家臣の馬場(美濃守)信春(ばばみののかみのぶはる)に命じて築城しました。

城内に諏訪大明神を祀ったことから諏訪原城と名が付いたと言われています。

駿遠の国境に位置し、武田・徳川の双方が国取りの拠点とした城です。

天正3年に徳川家康によって攻め落とされ、牧野城(まきのじょう)として使用されましたが、廃城時期はわかっていません。

現在でも三日月堀と馬出がセットになった丸馬出や横堀(よこぼり)が良好な形で残っており、戦国時代の山城の特徴を残しています。

島田市では史跡整備に向けた発掘調査を実施しており、現在残る遺構は徳川家康による改修の可能性が指摘されています。

引用:島田市博物館

わりと早くお城をまわれたので、ちょっと外も散策してみます。

旧東海道石畳(菊川坂)

茶畑と石畳。

見るからに新しそうな石畳でがっかりしたけど、菊川宿の近くは江戸時代当時の石畳が残ってました。

通称、菊川坂と呼ばれ、諏訪原城跡から菊川宿へ至る途中の石畳で、道幅は2.9mから4.2m、全長161mに及びます。

大小の山石を組み合わせ、やや隙間を開けて敷き詰められています。

現在残っている石畳は、今から150年以上前に敷設されたものと考えられております。


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